歯科の歴史をサクッと学ぼう(2)

昔の人はどうやって歯を磨いてきたの?
5分でわかる、ハブラシの今と昔!

歯科の学び|2022.06.01

今はみんなが当たり前の習慣としておこなっている「歯磨き」。でも昔の人たちはどんなふうに歯のお手入れをしていたのでしょうか。実は歯磨きの歴史は長く、なんと6万3,400年前のネアンデルタール人の歯にも歯磨きの痕跡が残っているそうです。今回は、この歯磨きの歴史と毎日使っているハブラシの変遷についてご紹介します。

歯磨きの習慣はインドがはじまりといわれている。

そもそも歯磨きの習慣は、インドが始まりといわれています。お釈迦様が弟子たちに、木の枝の端を噛んで房状にした「歯木」で歯を磨くように教えたのが始まりだとか。お釈迦様が使った木をダンタ・カーシュタ(歯の木)と呼び、その枝を使って朝に歯木を噛んで口中を浄めることが習慣づけられていたようです。ダンタはインド数字で“32”すなわち歯の数を表し、歯の英語表記の「Dental」の語源となったとも言われます。

お釈迦さまのその教えは、健康を保つために、まず「入口」である歯を丈夫に保つこと、つまり歯を磨くことが大切であるということになります。

歯木が仏教とともに日本に伝わる。

歯木は、仏教の伝来と共に中国をへて奈良時代に日本に伝来しました。中国ではインドで使っていた同じ木(ニーム/下写真)がなかったため、簡単に手に入る楊柳(ヤナギ)を使ったようです。仏教と共に伝来してからは、僧侶に歯磨きが浸透し、平安時代には貴族に伝わり、室町時代には庶民の生活の中に広まったようです。

江戸時代の暮らしと歯磨き。

江戸時代には、先端が房状になった房楊枝(ふさようじ)で歯を磨きました。また反対側の先端がつまようじの役割をしたものもありました。そして、房楊枝の柄の部分を薄く削いだ部分で舌の掃除をする(舌こき)習慣が定着したといいます。これにより房楊枝は、房の部分がハブラシ、柄の部分が清掃器具、先端がつまようじという3つの機能をそなえた道具になっていました。

さらに歯みがき粉(下写真)の開発により、江戸っ子は白い歯を自慢するようになったそうです。

ハブラシの正しい持ち方は歯科医院で教えてもらえますが、江戸時代の房楊枝の持ち方はどうでしょうか。浮世絵(下写真)を見ると、親指で下から支えてあとの4指を上から抑える持ち方が多いようです。

これら房楊枝や楊枝などは、江戸(浅草寺の境内)、京都(四条通り)、大阪(道頓堀)など人の多く集まる場所に店を出し、店頭で作り売りをするようになっていきました。

そして西洋文化とともにハブラシがやってきた。

房楊枝は江戸時代の終わり頃、黒船来航とともにその役割を終えました。すなわち、明治時代、西洋文化とともにアメリカからいわゆるハブラシが入ってきたのです。下の写真の1枚目が、明治期ハブラシ「竹歯ぶらし」。2枚目が大正期ハブラシ「舌こき付歯ぶらし」。

その後、改良が加えられて現在の形に至っています。下の写真の1枚目が昭和戦前ハブラシ(竹製柄のはぶらし)、2枚目が昭和50年代ハブラシと現在のハブラシ。

いろいろな研究をもとに改良されてきたハブラシ。正しく選んで正しく使って、ムシ歯予防、歯周病予防をして、お口の健康を保ちましょう!

(協力:医の博物館)