歯科の歴史をサクッと学ぼう

医の博物館で聞いてきました。
5分でわかる、歯科の今と昔!

歯科の学び|2021.08.27

人に歴史あり。そして歯科にも歴史あり。「いつ頃から歯科の治療がはじまったのか」「昔はどんな治療をしていたのか」「日本に西洋の歯学が入ってきたのはいつ頃か」などなど、長〜い歯科医療の発達の歴史を、サクッとレクチャーします。日本歯科大学新潟キャンパス内の「医の博物館」には、これらの歴史上のさまざまな史料が展示されていますので、ぜひ見学に来てくださいね。

[紀元前〜]大昔の人たちも、むし歯になっていた!

人間の身体の仕組みは、今も昔もほとんど変わりがありません。では、医療技術が発達していなかった大昔の人たちは、どんなふうにむし歯や歯の病気の治療をしていたのでしょうか。

旧石器時代から、人間には歯を抜いたり削ったりする習慣があったといわれています。紀元前、バビロニアでは、むし歯の原因が「歯の虫」であると考えられ、歯が痛むときは呪文を唱えたり、麻痺作用のある木の実を処方していたといいます。世界中を見渡しても、数千年もの昔から、古代エジプト、古代ローマ、ギリシャなど、さまざまな地域で人々は歯の治療を行ってきました。ギリシャの医師で現代医学の父と呼ばれるヒポクラテスによる「ヒポクラテス全集」(紀元前3世紀頃)には、歯のでき方や歯や口の病気、その治療法などがまとめられています。昔は歯科医師ではなく、医師が歯の治療を行っていたのです。

[日本の歯科のはじまり]稲作が広まり、むし歯が増えた!

日本に目を向けると、縄文時代からむし歯が増えるようになったといわれています。稲作が広まり、糖質や柔らかいものを口にするようになったためです。かの有名な「魏志倭人伝」には「東方に歯黒国あり」と書かれていて、当時から日本にはお歯黒の習慣があったと伝えられています。701年の「大宝律令」の中にある医療制度の法令「医疾令(いしつりょう)」によると、現代とは違って、耳、目、口、歯がひとつの科とされていました。日本でも当時はまだ歯科医師という独立した職業はなく、歯は医師が診るものだったのですね。

[平安〜江戸]入れ歯や歯ブラシも登場!

平安時代の朝廷では、歯の痛みを抑えるために針を刺したり、お灸をすえたり、祈祷をしたり、抜歯をしていたという記録があります。医書「医心方(いしんぼう)」には「朝夕歯をみがく」「食後うがいをする」という現代にも通じるむし歯予防が記載されています。

鎌倉時代になると、ついに「口歯咽喉科」という科目がつくられます。また室町時代は、歯木と呼ばれる楊枝を使っての歯の清掃が日常的に行われていたようです。この頃になると、いよいよ入れ歯が登場します。ちなみにこれまでに見つかっている日本最古の入れ歯は、ツゲの木でつくられ、西洋の入れ歯よりもよく噛むことができるものなのだそうです。

戦国時代、安土桃山時代を経ていよいよ江戸時代になると、房楊枝と呼ばれる歯ブラシが使用され、一般の庶民も歯の治療を受けられるようになります。口中専門の治療者も増えていきました。なかには、医師ではない、香具師と呼ばれる人たちが「歯抜師」を名乗って道ばたで歯の治療を行ったり歯磨き粉を売っていたこともありました。

[幕末〜明治]開国とともに、西洋の歯科技術もやってきた!

幕末になると、開国とともに西洋の歯科技術が日本にも伝えられます。外国から外国人歯科医師も多くやってきました。これを機に日本の医師たちは歯科医学を学び、1876年(明治8年)、初めて西洋医学に基づく最初の「歯科医師」が誕生します。そして1883年(明治16年)に規則が制定され、歯科が独立した正式な専門科目となりました。1906年(明治39年)、医師法が制定されるとともに「歯科医師法」も作られ、それに基づいて、その翌年、歯科を専門的に学ぶ場所として、私立共立歯科医学校(現日本歯科大学)が創立され、現在の歯科の学びへとつながっていくのです。

 

▼「医の博物館」には、貴重な史料がたくさん展示されているから、歴史が好きな人なら一見の価値あり!

医の博物館は、日本で初めての、また唯一の医学博物館として平成元年(1989)9月に開館しました。歴史的資料(史料)を通じて医学史を教育研究し、史料を一般公開することにより、学術文化に寄与することを目的としています。歯科のみならず、医学や薬学に関する史料(16世紀から現在に至る東西の古医書、浮世絵、医療器械器具、薬看板、印籠など)約5,000点を展示、保管しています。