プロが教える、歯みがき粉の話。

“粉”じゃないけど、歯みがき粉!?
歯みがき粉について深掘り!

歯科の学び|2024.02.28

皆さんが毎日使っている「歯みがき粉」。今ではラミネートチューブに入ったペースト状の「練りハミガキ」が一般的ですが、昭和40年代くらいまではいわゆる“粉”状のものが主流でした。缶の中に歯みがき粉が入っていて、湿らせたハブラシをちょっと入れてハブラシにその粉をつけ、今と同じようにシャカシャカ磨いていました。もちろん以前からペースト状のものもあったのですが、輸入品が多かったようです。今回は歯みがき粉についてお話します 。

 

1. なぜ歯みがき粉と呼ぶの?

歯みがきの際に歯ブラシとともに用いて、歯口清掃効果を高めたり、歯・口の病気を予防する等の効果がある化粧品的および薬剤的製品の総称を、「歯磨剤(しまざい)」または「歯みがき剤」といいます。かつては粉状の歯磨剤が主流であったことから、歯磨剤全般を日本語では「歯みがき粉(はみがきこ)」と呼び、それが現代でも言葉として廃れずに、練り歯みがきも同じようにこの名で呼んでいるのです。現在、一般的に使用されるタイプはチューブ入りのペースト状で、「練歯磨剤」「練歯みがき(ねりはみがき)」とも呼ばれています 。

 

2. 世界の歯みがき粉の歴史

歯みがきの古い史料としては、3~4世紀の中国の敦煌壁画において、指で歯を磨く「歯磨き図(揩歯:かいし)」が最古の歯みがきの様子を示しています(下図1・2:揩歯の壁画)。当時、歯みがきは僧侶のみの習慣だったようです。

歯みがき粉については、4世紀頃にエジプトで食塩、黒コショウ、ミントの葉、アイリスの花を混ぜた粉末を歯みがき粉として使っていました。また、古代ローマでは、人間の尿に入っているアンモニアが歯を白くすると考え、尿が入ったものが使われていたそうです。


図1:敦煌洞窟196の壁画。僧侶が指で歯を磨いています。


図2:敦煌洞窟159の壁画。歯磨きをしてる男性は上半身裸でしゃがみ、左手に洗浄瓶を持ち、右手を歯の前に置き、その手で歯を拭いていました。

18世紀になるとアメリカでは、焦げたパンを混ぜた歯みがき剤が使われていました。しかし、欧米で広く用いられるようになったのは19世紀以降のことでした。1800年代初頭、歯みがきは主に歯ブラシと水だけで行われていました。その後まもなく粉末の歯磨剤が大衆に広まっていきました。その頃の歯磨剤には、チョークの粉、細かく砕いたレンガ、食塩などが混ぜられていたようです。

現在のようなチューブに入ったペースト状の歯磨剤は、1896年にニューヨークでコルゲート社によって初めて売り出されました。今では一般的なフッ素化合物は含まれておらず、無味のものが主流だったようです。そして1900年頃になると、過酸化水素や炭酸水素ナトリウムを含むペースト状の歯磨剤が出始めました。ペースト状の歯磨剤が粉末状のものに取って代わるようになったのは、第一次世界大戦が終わる頃でした。

 

3. 日本の歯みがき粉の歴史

歯みがきは平安時代、仏教の伝来とともに日本へ伝えられ、歯みがきが庶民に普及したのは江戸時代の元禄(1688年)の頃からでした(「5分でわかる、ハブラシの今と昔」記事参照)。

それより以前の江戸時代の寛永2年(1625年)、歯みがき粉の元祖として、丁字屋喜佐衛門という商人が「丁字屋の歯磨」「大明香薬砂」と呼ばれる歯みがき粉を発売しました。この歯みがき粉の成分は、江戸の近く房総半島、房州の海岸で採れる琢砂(みがきずな)という非常に目の細かい研磨砂に漢方薬を配合したもので、「歯を白くする」「口の悪しき匂いを去る」という宣伝文句が添えられていたようです。その後、さまざまな歯みがき剤が販売され、広く民衆に流行したようです(下図3:房州砂と房楊枝)。


図3:房州砂と房楊枝 

当時の江戸っ子は、「歯が真っ白でなければ一人前ではない」と言われていたようで、歯みがき粉を使って歯の表面が削れるほど房楊枝で磨くことが日常習慣となっていました。そのため、歯みがき粉を使うか使わないかで、江戸っ子か、田舎者かを区別できたとも言われています。このような口腔ケア用品(房楊枝や歯みがき粉、お歯黒のふし粉など)は、浅草寺の境内に200軒もの楊枝屋が並び、そこで販売されていたようです。(下図4:浮世絵)。また、房州砂の他に、ジャコウ・丁子・ハッカなどの香料を入れ、紅で赤くし、当時人気だった歌舞伎役者の名前などを付けた歯みがき粉も多く販売されていました。


図4:『絵本時世粧』より 浅草寺楊枝店 享和2年(1802) 

明治時代になり、それまでの“粉”歯磨ではなく“練”歯磨が登場しました。明治21年(1888年)に「資生堂(福原商店)」が日本で初めて「福原衛生歯磨石鹸」という名前で固形石鹸状の練歯磨きを発売しました(粉歯磨の10倍の値段)。明治29年には「ライオン(小林富次郎商店)」も、粉状で袋入りの「獅子印ライオン歯磨」を発売しています(下図5:明治時代の歯みがき粉)。その後、欧米から伝わった炭酸カルシウムを配合した歯みがき剤も製造されるようになりました。


図5:資生堂歯磨(左)とライオン歯磨(右)

大正時代には子供用の歯磨剤が発売され、形状を粉だけではなく“潤製(半練り)”の歯みがき、そして“チューブ入り練歯みがき”が発売されていきました。その後、昭和になってラミネートチューブがライオンによって開発されました(1970年)。現在では、歯みがき剤に薬用成分や発泡剤が配合され、これらの作用によって効果的に汚れを取り除き、むし歯や歯周病を予防することができるようになっています。

 

まとめ

現在では、薬局やコンビニなどの陳列棚にさまざまな種類の歯みがき粉が並んでいます。かつて主流だった粉末や潤製(半練)製品、金属チューブを見ることはなく、ほとんどが使い勝手のよいラミネートチューブ入りの練り歯みがき粉や、泡状の歯みがき粉です。その中身には、製品ごとに異なる薬効成分や香り、味が含まれ、自分の好みや用途に合ったものを選べます。もし製品選びに迷ったら、歯医者さんや歯科衛生士さんに聞いてみましょう。

 

(参考図書)
1.陶粟嫻、中原泉:敦煌壁画にみる歯科風俗—楊枝と揩歯—、日本歯科医史誌、17 (2)、 108-113,1991.
2.大野粛英、羽坂勇司:目で見る日本と西洋の歯に関する歴史 第2版、東京、わかば出版、2011年.